日本天文道最初の達人
天武天皇の四(六七五)年には占星台(天文の観測と占いを行なう施設〉もつくられました。
この天武天皇は一説に日本天文道最初の達人で、『日本書紀』にも天文や占星の術にすぐれていたと記されている(さらには、易占にも通じており、壬申の乱のおりには自ら笠竹を取って占っている)。
律令制下では天文道は陰陽寮に属した。
とくに安倍晴明以降は、暦法を家学とする賀茂家に対して、安倍家が天文を家学としました。
すなわち、天体の運行を観察してその吉凶の予兆を報告し、日月蝕の予測をするのです。
予兆がある場合は、その対処法も奏上し、祈疇などの除災の呪法を行なったりした。
報告を受けた朝廷は、凶兆の場合などは、陰陽寮で除災の儀礼を行なわせるばかりではなく、宮中に密教僧を招じて祈濤を行なわせるとともに、権威ある寺社にも命じて除災の法を修させました。
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